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床下の危険 知っていましたか?

7/7 東京、両国でJBTA第5回定期総会が開かれました。JBTAとは、日本ホウ酸処理協会で5年前に発足されました。詳しくは「日本ホウ酸処理協会」でググってみて下さいね。まぁ地味な活動をしている、まじめな団体です。(笑)

夢工房キッチンくらぶでは、以前から構造材の防蟻処理にはホウ酸を使っていました。

日本の住宅で防蟻処理にはネオニコチノイド系の農薬が70%~80%使われているそうです。海外では、全面禁止になっているのにもかかわらずです。ある養蜂場の近くでの農薬散布が原因で蜂が全滅してしまったり、人の、特に乳幼児から子供の脳を委縮させる研究結果が報告されていたり、ペットが嘔吐したりと、揮発する農薬が及ぼす被害はさまざまです。この農薬が日本では、何の疑いもなく住宅の構造材に塗布や散布がされています。

新築時に散布すると、5年後には気化してしまい、防蟻効果が無くなるので床下に潜って散布するわけです。その時の費用は30万円くらいでしょうか。塗布した直後から、どんどん揮発してそれを住んでる方が吸い、効果が無くなったらまた散布するということを繰り返すことになります。害虫を殺すが人も殺せる農薬。私は怖いと思っています。しかも5年おきに30万円!

一方、ホウ酸は、害虫が食べると餓死しますが、哺乳類にはそれを処理する器官があります。腎臓です。尿として排出するから安心なのです。ただし、許容量があって、食塩と同じくらいの摂取なら安心とされています。構造材に塗布や散布をすると、結晶として一生そこにあり続けます。洗い流さない限り効果は半永久的に持続します。数年後にまた散布する必要がないのです。しかも気化しないので、住む方が健康被害に脅かされる心配もありません。

既存の住宅で被害にあってしまったら、害虫を直接射殺しなければならないので、農薬は必須になりますが、それ以降はホウ酸の散布がお勧めです。処理と予防の使い分けが大切ですね。

正直、気化して人に悪影響を及ぼすことと、一生の内に何回も散布し、お金がかかることは知っていて、今までもホウ酸を使っていましたが、海外で全面禁止だということと具体的な研究発表の件は知りませんでした。他の工務店の監督や社長はこの事実を知っているのでしょうか?

住宅の部材や工法はたくさんあって、ネットで色々な情報が取り出せます。だから逆に何が良いのか分からなくなってしまうのですが・・・。私は出来る限り第三者の立場で、その情報を皆さんにご提供したいと思っています。自分の家ならこれを使う!と思える部材を標準仕様で使っていきたいですね。

写真は定期総会の様子です。スカイツリーが見える会場でした。いつもいつも観光などは出来ずにトンボ返りするんです・・・・(トホホ)

ホウ酸定例会議
防蟻剤に殺虫剤を使うのは大変危険です。ホウ酸処理は効果も長く健康に暮らせます。

有終の美

光が射す4本の筒
光が射す4本の筒
外観はまるで動くお城
外観はまるで動くお城
屋根下地も複雑
屋根下地も複雑
オムライスの中身はこんな感じ
オムライスの中身はこんな感じ

こんにちは。大変長らくお待たせいたしました。

今回は小浦青年物語最終話です。

大工になって16年が過ぎ、ターニングポイントになる木造住宅を手掛けました。

上の写真のように、普通じゃなさすぎる物件を請けることになったのです。普通、大工が見る住宅の図面というのは、平面図、立面図、矩計図、展開図くらいです。枚数にして7~8枚でしょうか。大体1日もかからず、大まかなところの中身を覚えてしまいますが、この物件は図面が70枚くらいありました。ざっくり全体を掴むのにも1か月くらいかかりました。それでも、書かれていない部分があって、わからないところは模型を見て、納まりを考えていました。誰も教えてくれませんし、監督も、設計士すらも作り方は分かりませんから、一人で悩む日々でした。普通の道具を普通に使えない加工をしなければならなくて、こんな道具があったらなぁとつくづく思いました。私は、宮大工ではないので、もしかしたらその知識と経験があれば、もっとスムーズに進んだのかもしれません。

大工の仕事だけでなく、板金の納まり、サッシの寸法、左官の仕上げ、建具の形や納め方、電気の配線ルート、水道の給排水位置、エアコンの配管ルート、排煙窓の設置など、ほとんどすべての業者に指示するのもなぜか任されました。頭の前の方がムズムズしてたのを今でも覚えています。前頭葉をよく使っていたのでしょうか?

そんなこんなで大工工事が3年、その後の仕上げ工事が半年かかって無事完成することが出来ました。長ーい長ーいムズムズ生活が終了したのです。

この物件がきっかけで当時の元請けから、大工工事だけでなく、建築工事を始めから終わりまで一式でやって欲しいと要望があり、個人事業から会社組織にして、建設業の免許も取って工務店として2009年に立ち上げました。なので、ここからの約4年間は下請け工事として、15棟を完成させています。

次回からは、こんな家に住んでいただきたいというシリーズです。

全文をお読みいただきありがとうございました!

少し暗いですが全景写真
少し暗いですが全景写真

 

木造住宅の大工時代

こんにちは。大工って数年前は小学生に大人気で、将来なりたい職業NO.1だったんですね。私の兄は幼稚園の時に、建前工事での梁の上で身軽に仕事をしている大工さんをみ見て憧れたそうですが、今の大工さんは、3K「キツイ、キタナイ、キケン」の仕事だと思われているんですよね。実際、昔と今では大工さんの仕事も変わってしまったり、責任も変わってしまっています。棟梁と呼ばれて、全責任を背負っていたのが、今ではそれがないですからね。基礎工事に始まり、建前、造作、設備、仕上げとすべての業者を束ねて、段取りや納まりをすべて把握していたのですから、家全体の隅々まで目を光らせていました。今はそれが工務店の監督の仕事になっています。時代の流れでしょうね。でも、住宅の80%は大工で決まるといっても過言ではありません。私は大工を引退して6年になりますが、昔の棟梁と呼ばれるような大工を育てていきたいと思っています。

さて、第3話

木造住宅に携わるようになって、構造から下地、造作材まですべて木に変わったので道具が変わりました。今まで、鉄を切るのに専用の丸鋸とかサンダー、鉄切り鋏など他にもいろいろありますが、それらが無くなった代わりに、のこぎりの刃がいろいろ種類が増えたり、ノミもカンナ数が増え、バールもいろいろな大きさのものが必要になりました。使う材料と道具は変わりましたが、基本的には住宅を造ることですから考え方は同じです。ですがハウスメーカーの大工工事は、床、壁、天井、棚、扉、だけなので、柱や土台、梁、屋根などの構造体となる部分を考えたり造れることは大変面白く、世界が広がったように感じました。自分は物を造ることが本当に好きなんだと感じる数年間でした。

次回は小浦青年物語最終回です。(はや!)

大工時代の集大成の物件のお話です。

大工は80%
吹き抜けでも家の性能が良いと冬も快適
木をふんだんに使うと空気感が良い住宅になります
木をふんだんに使うと空気感が良い住宅になります

 

 

 

ハウスメーカーの大工時代

こんにちは。代表の小浦です。今回は大工になってからのお話ですが、板前と大工って共通点は何も無いように思いますが、どちらも「造る」という意味で同じです。ものを造る時は、形になるまでの段取りが非常に重要で、それによって、早さも仕上がりもずいぶん変わってしまうんですね。段取り八分という言葉でもわかると思います。

第2話

板前をやめた翌日から大工になったわけですが、最初は中堅ハウスメーカーの施工でした。建築の右も左も分からなかった私が思ったことは、「大きなプラモデルみたいだな~」でした。そのメーカーでは大工と監督の育成プログラムがあって、早速そこで研修することになり、約1年間県外で寮生活をすることになったのです。そこでは座学もありもちろん実務もあり、金銭的にはかなり不自由で大変でしたが今思えば、良い経験だったと思います。

それから約2年後に、大きな大きなハウスメーカーに移ることになったのですが、前メーカーと比べて無駄のないスッキリした納まりだなと思いました。この後7年間で大工工事を携わったのは、気づいてみれば110棟を超えていました。ただがむしゃらに大工工事をしていただけで、朝起きて現場に行き、帰って寝るだけの生活だったように思います。はっきりと20代の楽しい思い出は思い浮かびません。

工場で毎日同じような作業をするような、機械のように働く仕事にワクワクしてないと気づき、周りを見始めました。偶然か必然か、人との縁も有りまして、無事ハウスメーカーを優秀な成績で卒業することができました。

ハウスメーカー時代を2期に分けると、前期5年間が、兄と仕事を覚える修行時代、後期5年間が、独立し精度とスピードを最高まで高める修練時代でしょうか。

次回は、木造建築時代のお話です。

(今回は写真はありません。)

・・・つづく・・・

ブログを始めます。

料理大好き

料理が大好きだった小浦少年(写真は本人の所有ではありません)

 

夢工房キッチンくらぶ 代表取締役の小浦です。

ホームページがリニューアルされました。これから少しずつですが建築やお客様への気持ちをお伝えできればと思っていますのでよろしくお願いします。

まずは、私の生い立ちから夢工房キッチンくらぶの今に至るまでを書いていきたいと思います。途中、誤字・脱字がありましても寛大にスルーしてくださいね。

第1話

小学生のころから料理をつくることが大好きだった小浦少年は、高校卒業後、夢がかなって板前の道に進みました。毎日修行でしたが、楽しい毎日を過ごしていました。しかし、小さな料理屋だったので、先輩や店長を見ていて、この先の自分はお店を構えられるのか、その先の将来も不安に感じていました。そこで、ホテルの板前にならないか?と勧められて、全国展開しているホテルの従業員になり、そこで、板前をすることになったのです。野菜切り、刺身、焼き物、揚げ物、煮物、と先輩たちに可愛がられながら、順番に料理の経験をさせてもらい、それなりに自信もついてきていました。しかし、その間、ずっと悩んでいたことがあったのです。それは、普段から水や洗剤に触れる仕事なので、皮膚が弱かった小浦青年の手がボロボロになっていたことです。今でしたら薄手のビニール手袋があって、平気だったかも知れませんがその当時は無く、そして深刻なことだったのです。大好きな板前をやめてしまうのはとても残念でしたが、やめる決意をしました。最後の日は、お世話になった先輩方の包丁を1本ずつですが、きれいに砥いでお店を後にしました。(一人の先輩だけ刃がボロボロだったので、かなり時間がかかりました。そういう道具を大切にしない先輩が今どうしているか分かりません・・・)

そして家に帰って、大工だった兄に電話をしました。すると「わかったぞ、じゃあ明日から大工になれ」その一言で私は大工になったのです。

・・・つづく・・・